2016/08/10

4. 「レイズアップ・バー」

レイズアップ・バーの意味
私達親が、前述したような一連の経験学習を子供達に指導していくと、彼らは色々な活動や日常生活の中で、今まで見逃していたことに注意を払い始めます。そして色んなところから神のメッセージを探ろうとし始めます。例えそれが、小さな出来事であっても、子供達にとってはとても新鮮な神体験となっていくのです。祝福子女の教育において、我々は最初に上手く彼らを神に繋げてあげることが大切で、そこが上手く繋がれば、後の信仰、心霊、心情的成長は、子供達が自分でどんどんつかんでいくようになります。何故ならば、子供達が神の存在を確信し、更に日常生活の中で導く神の愛を感じると、祝福子女としての本来の本心が啓発され、自らより高い基準を目指し始めるのです。


その様に、子供達が強い決意と高い目標を立てた後、前回より高い次元と多い投入で「インサイド・アウト」、「チャレンジ・リミテイション」、「エクスピリエンシャル・ラーニング」を実践していくことにより勢いを増しながら奇跡的な成長循環をして行くのです。その様に、自主的に常に高いゴールをたてさせて行かせる教育概念を「レイズアップ・バー」と呼びます。顕進様はその様な能動的情熱を「アスパレイション」と呼んで、それが本来の若者の特長であると言われます。つまり、顕進様の言っておられる成長とは新しい自分になる為の変革(トランスフォーメイション)のことであり、過去の経験を基にした改善(インプルーブメント)だけではないということです。以前の自分では感じられなかったことを感じ、出来なかったことが出来るような「奇跡(ミラクル)」を起こして自己変革していくことです。


以上の様な原理的な善の循環運動がらせん状に起こり始めると、「インサイド・アウト」の焦点は、もはや出発の時の様な単なる自分の内的な観点や自主的な姿勢に留まらず、神を中心とする観点と神を中心とする姿勢に昇華して行きます。このように絶えず神を意識し、常に神に報告し、そしていつも神の意思を求める生活こそが正に真のお父様の言われた「報告生活」であり、「正午定着」の生活ではなかったのではないでしょうか。子供達はその様な生活を通して、どんどんと神からの個人的な愛と導きを感じながら、神と親子の心情因縁を深めていき、その道を切り開き示してくださった真の御父母様に対して限りない感謝と愛を示すようになるのです。

四つの教育概念の将来的意義
ところで、これらの教育はいつ頃から始めるべきでしょうか? 本格的に始めるのは、原理的に見て子供が思春期に入ったころであります。勿論、それ以前からやってもかまいませんし、特に家庭を中心とした価値観教育はもっと幼い時から始めるべきです。一般社会に於いて、思春期とは自我が目覚め、異性に興味をもったり、親の言うことを聞かなくなる時期と捉えている教育者も多いのは確かです。しかしそれは人間が堕落したからであり、原理的に見た場合、思春期とは自我に目覚めて神を知る時なのです。またそれこそが我々の祝福子女の本来の基準でもあります。


しかしながら、全ての子供達が直ぐに神の心情に開けて来るとは限りません。中には、神の存在に無関心であったり、神に対してプレッシャーや恐れを感じてしまう子供達も多くいます。それ以前に、正しい価値観がまだ完全に立っていない子供達もいるでしょう。だからと言って、教会活動や教会責任者に子供の教育の全てを任せる訳にはいきません。おそらく、何らかのサポート・システムや、その為の地域の共同体等は必要でしょう。しかし後天時代における子女教育の中心的責任は、既に私達直接の親にあるのです。勿論、私達親もいまだ理想人格や理想家庭を完成していないのも現実です。ですから、まず私達親自身が四つの教育概念中心として、日常生活のなかで頻繁に神を感じる訓練をする必要があるのではないでしょうか。


親達が信仰生活に関して一歩でも二歩でも子供達より先に進んでいれば、その親は良い先生やアドバイザーになれます。もし親の方が間違えたら、素直に子供に謝って何が良くなかったのか一緒に考えれば、良い教育材料になるでしょう。成功例や失敗例を子供達に証しながら一緒にやっていくのも良いでしょう。高校生や大学生位になれば、既に子供達と一緒に神と信仰生活の話が出来なければならないでしょう。そして理想的には、子供達が祝福を受けて家庭を出発した後、私達親を既に超えていって欲しいものです。


以上のように、親と子が一緒に信仰生活を行いながら、共に成長していくことが、正に訓読家庭教会の摂理的使命ではないでしょうか。今は定着の時代であり、家庭を中心とした時代です。つまり、これからは組織よりも我々の家庭に信仰と教育と血統と神の心情を根付かせなければなりません。それが正に我々祝福中心家庭の「後天時代」の生活であり、「天一国」の具体的建設の道ではないでしょうか。

<親と子の訓読家庭教会>より

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2016/08/09

3. 「エクスピリエンシャル・ラーニング」

エクスピリエンシャル・ラーニングの意味
さて、子供達が「インサイド・アウト」を中心として、「チャレンジ・リミテイション」で説明した様に少しづつでも限界に挑戦していくならば、彼らは経験を通して色々な事を学んでいきます。このことを「エクスピリエンシャル・ラーニング」、すなわち経験学習と言います。と言うことは「エクスピリエンシャル・ラーニング」による学習は、受動的に何となく活動・生活していても本当の意味では出来ないと言うことです。経験学習は「CARP・Epistemology」(カープ式教育的認識論)の中心でもありますが、本当の経験学習をする為には、その前に正しい内省的観点と自主的姿勢、そして挑戦精神がなければいけないのです。



旧約的神体験の限界
私達が一般的に教会で経験する「神体験」とは、日常的には起こりえない不思議な経験をした時のことを言うようです。この様な外的奇跡体験は特に信仰初期においては必要かもしれませんが、その様な外的奇跡だけが「神体験」の全てではありませんし、それを経験することが信仰生活の最終目標でもありません。私はこれを旧約的神体験と呼んで、次のレベルの新約的神体験や成約的神体験と区別しています。


イスラエル民族が荒野で出会った奇跡の神体験は、人々に一時的な影響を与えましたが、信仰を長く保ち続けるのは難しく、結局目標に到達できませんでした。何故ならば単なる外的な奇跡体験だけでは、決意するきっかけにはなっても、個人的な心霊的成長や心情的成長までには至らないからです。そして、定着時代にはいるとそのような不思議な出来事がいつまでも起り続けるとは限らないからです。真の御父様が語られた信仰生活における三年目の試練という言葉も、霊界による協助とプッシュだけではいつか限界が来ることを証明しています。


外的奇跡体験が良くない訳ではありません。大切な事は、それらの外的体験を通して、神が自分達に何を教えようとしているのかという神の意図とメッセージを尋ね求める信仰姿勢です。そのように内的意味を探す視点が、「インサイド・アウト」の観点であり、まず自分から変っていこうする姿勢が「インサイド・アウト」の姿勢であります。逆に言うなら、自分の内面を変えないで、他人を変えようとすることは原理的方法でなく、自分も出来ない事を他人にさせることは誤った信仰生活であり、それを続けるとどんどんと間違った霊界から悪影響を受けるようになることもあります。

日常生活で神を経験する後天時代
さて、子供達が「インサイド・アウト」の正しい観点と姿勢をもって、更に「チャレンジ・リミテイション」を通して自らの限界に挑戦しながら、内外共に突破しようと日々努力を続けていくと、神はあらゆる時に、あらゆる場所で、あらゆる方法や、あらゆる人を通して、ヒントを示したり、警戒をしたり、導いたりされるようになります。それらを通して子供達は自身の生活環境と人間関係の中で、神がいかに現れ、何を願われ、どう勝利して欲しいと思っておられるかを少しずつ悟るようになります。


その様な日常生活での奇跡は時には小さなものもあり、気を付けていないと見過ごしてしまうようなものも沢山あります。ですから親が子供の内的事情を良く理解したうえで、報告も聞きながら注意深く見つめて、神がどう働いているかをタイミング良く指摘してあげなければなりません。そして、たとえいつも神の意思や答えが完全にわからなかったとしても、その様に神を意識し神の意思を尋ね求める生活をすること自体が大切なことなのです。毎日神様からいつも直接的啓示を受けろという意味では、決してありません。私達が知るか知らざるかに関わらず、神は私達一人一人に対して、いつもハッキリとした方向性と教育課題をもってのぞんでおられるのです。


もう一つ大切な事は、奇跡には目に見えるものだけでなく、目に見えないものもあると言う事です。たとえば、自分の心が正しい方向に向かって行ったり(アライメント)、自分の内的条件が満ちて来たりすると(精誠)、変って欲しいと思っていた人達が、何も言わなくても突然良い方向に変り始めると言う様な事が起こってきます。それは具体的に目に見えなかったとしても、旧約を超えた高いレベルでの霊的奇跡です。又、たとえ変わって欲しいと思っている人が最終的に変らなかったとしても、自分が立てた内的投入と基準が、自分自身の心霊的を引き上げたり、神や人に対してより高い心情圏でのぞめるようになったとするならば、それも目には見えない大切な心霊的・心情的な内的奇跡であり、いつかは外的にも展開されてくるはずです。

<親と子の訓読家庭教会>より

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2016/08/08

2. 「チャレンジ・リミテイション」

チャレンジ・リミテイションの意味
さて、「インサイド・アウト」の教育を通して子供達に物事を内的・原因的に見つめる「観点」を教えていくと、いかに目に見えない原因的な世界が、彼らの具体的・現象的な日常活動に繋がっているかを理解してきます。そしてさらに色々な事情・状況の中で、まず自分から変ろうとする「姿勢」を指導していきますと、どの様な自分の内的状態がどの様な外的結果をもたらすかと言う原理的パターンが体験的に解ってきます。

しかしながら、私達親でさえいつも内的に勝利し、たえず外的にも成功し続けることはありませんから、子供達に於いてはなおさらで、むしろ失敗することのほうが多いのが普通です。しかし失敗も勉強の一部です。大切なのは、失敗例も含めて、前述した様な正しい観点と姿勢を中心に上手く指導していくことで、彼らは自分達のどの様な内的限界が、どの様な外的結果の限界をもたらすかと言うパターンも解ってきます。

とは言っても内的な限界に挑戦させると言っても、幼い故に内的な事がピント来ないことや、内的な事になかなか真剣に成り切れないこともあります。それ故、精神的、霊的、心理的な挑戦だけでなく、時には肉体的にも挑戦させるような環境や機会を親の方から時々作ってあげることも必要です。もし事情がゆるせば、親子でスポーツ、山登り、魚釣り、奉仕活動等を一緒に挑戦出来ればそれに越したことはありません。

そのようにして、子供達が、自分達の幾つかの内的限界に気が付いて少しづつでもそれに挑戦して行く時、そして失敗と成功を繰り返しながらも、段々とその限界を乗り越えて行く時、彼らの観念的神の存在が、自分の生活と直結した生きた神の存在へと具体化していくのです。これが、「チャレンジ・リミテイション」(限界挑戦)の教育的意味です。

チャレンジ・リミテイションの実践

さて、私達が実際に教育指導するにおいてまず最初に大事なことは、子供達が何に対して乗り越えて行くべきかをよく把握しておくことです。闇雲になんでも挑戦させればいいと言う訳ではありません。子供達の生活の表面に出てくる派生的堕落性や色々な欠点をいちいち挙げて注意しても意味はあまりありません。特に、親の感情や好き嫌いでその場限りの注意をすることはむしろ逆効果です(「訓読家庭週報」参照)。それよりも、原理的に見て、より根源的で本質的な子供達の課題を知っておくことが大切です。つまり、「この原理的根本課題が変れば他の派生的問題も次第に変ってくる」という様な鍵となるポイントを把握しておくことです。


次に大事なのは、タイミングと順番の問題です。親がいくら子供の課題がハッキリ解っていたとしても、子供がその様に思わなければ意味がありません。たとえ正しいことであったとしても、最初から親が全部教えてあげないで、子供達が自分自身で気が付くように、タイミングよく導いてあげるのが最高の教育です。子供達に自然に気がつかせる為には、最初は解りやすいより外的な課題から入っていって、次第に内的課題に目覚めさせるのもひとつの手段です。だいたい、私達親も含めて神様が我々にのり越えて欲しいと願っておられるような中心課題は、その時々に一つか二つ位ではないでしょうか。ただ神様はひとつの挑戦が終わると、また次の挑戦という様に、絶え間なく課題を投げかけて来られるものです。


最後に、「限界挑戦」をする時には、継続する事の重要性も教えなければなりません。たいていの子供達は一時的に頑張ることは出来るものです。もしうまく決意をさせて雰囲気さえ作ってあげれば、一時的に頑張ることはそんなに難しいことではありません。しかしながら、一般的に子供達に共通していえるのは、その決意が長続きしないし、努力の根気が続かないと言うことです。ご存知の様に、蕩減復帰に於いては必ず数理的期間性がありますし、創造原理に於いても全てに成長の期間性があります。ですから子供達にも勝利圏が具体化するまでは根気良く続けて行くことの大切さを教えなければなりません。


いくらがんばったとしても勝利の目前であきらめてしまっては奇跡は起こりません。私達もサタンがいつも内的勝利の目前に現れて妨害し、逆に神が内的勝利の直後に現れて奇跡を起こすのを見てきました。つまり、内的勝利が外的勝利に転化するまでには、いつも時間性があるのです。そして多くの一般の人々は、その様な神と原理を知らないが故に、内的条件や精誠が満ちる前にほとんどの場合あきらめてしまうのです。そうなってしまうと、私達の活動にも生活にも永遠に奇跡は起こりませんし、神体験も出来ません。顕進様も大きなイベントの前にまず精誠を尽くすことの大切さをよく我々に教えておられます。

<親と子の訓読家庭教会>より

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2016/08/07

1.「インサイド・アウト」

個人の霊的成長における四つの教育概念

私達親が、どの様にして自分の子供達に具体的に神様を体験させてあげ、さらに心情の成長を助けてあげるかという課題を扱う時に、とても良い参考になるのは、顕進様がワールド・カープの会長をされていた時に説かれた霊的成長の為の四つの教育概念です。これは「CARP・Epistemology」(カープ式教育的認識論)とも呼ばれ、子供がいかにして経験によって学んでいくかを説明しようとしたものです。それらを「インサイド・アウト(inside-out)」、「チャレンジ・リミテイション(Challenge Limitation)」、「エクスピリエンシャル・ラーニング(Experiential Learning)」そして「レイズアップ・バー(Raise up Bar)」と呼びます。

なぜその様な新しい内容を紹介する必要があるのでしょうか。それは私達が今まで学んできた信仰指導や心霊指導の内容は、どちらかというと万物復帰や伝道活動や教会生活の様な伝統的な宗教生活の中で実践されてきたもので、一般的な日常生活の中では完全には使いこなせないものや、なかなかあてはまらない部分がずい分あるからです。ここで紹介する内容は、以前のような特殊な教会活動だけでなく、一般的な奉仕活動や野外活動、さらには日常的な学校や家庭での生活環境の中でも実践出来る教育の基本概念であり、子供達だけでなく私達親も使える後天時代における信仰生活のガイダンスにもなるものです。

そしてこの内容は真は真のお父様のご指導を、具体的にそして真剣に実践してこられた顕進様の生きた信仰の証でもあるとも言えましょう。以下はその4っつの概念を、私が実際の教育現場で使った経験をもとに、アウトラインとして簡単にまとめてみたものです。もともと高校生以上の子供達の教育を対象としたものですが、中学生からでも十分に使える内容もあります。

インサイド・アウトの意味
私達が色々な活動や環境の中で具体的な内的成長をする時、実際にどの様な不変的原理原則が働いているのでしょうか。先ずその原則を、いままでの教会の組織的活動だけにとらわれず、創造原理的観点から、純粋に再検討してみる必要があります。

その不変的原理原則の最初が、「強調文インサイド・アウト」です。その意味は何かと言うと、私達の活動や生活のなかで起っている全ての内容は、内外の二面性でもって繋がっているという事と、その二面性に於いていつも内的なものがより主体的・原因的であり、外的なものはより対象的・結果的であると言う事です。

つまり、外的なものは基本的には現象結果であり、その前にはいつも内的な原因がある為、私達の内的な勝利基準はいつか必ず個人と全体の外的勝利へと展開していくと言う事です。この様な根本原理は真の御父様がいつも語っておられた「天宙主管の前に自己主管」と同じです。顕進様はそれを「内的勝利が外的勝利になる」とも表現されておれます。

この教育の概念は、内的で原因的なものを主体とし、外的で結果的なものを対象とする、創造原理の中の二性性相の法則が基本になっていることは言うまでもありません。更に、究極的な原因者であり、永遠で不変な価値と幸福を求めている無形なる神の実在を結果的・現象世界の中で経験を通して証明しようする理論的過程は創造原理のそれと基本的には同じです。


インサイド・アウトで教えるポイント
インサイド・アウトで具体的に何を教えるかと言うと、先ず第一に物事を外的に見過ごすのではなく、内的に原因的に見つめる観点(価値観、生活観、人生観)です。そして二番目には、その内的原因をもって他人を批判するのでなく、むしろ自分の中に原因と解決を求め、まず自分から変ろうとする姿勢であります。このような自主的姿勢を顕進様は「オーナーシップ」(主人意識)とも呼んでおられます。正しい内省的観点と正しい自主的姿勢は神や霊界を信じる宗教人だけでなく、全ての良識人も共通して実践するべき生活の基本的姿勢でもあります。


そういう意味で「インサイド・アウト」は先に述べた「価値観教育」(「訓読家庭週報」参照)と繋がっています。ただ「価値観教育」は幼い時から主に親を通して家庭の中で受動的に学んでいくものですが、「インサイド・アウト」はその「価値観教育」の上に成り立っていきながら、更に家庭以外での経験も含めて能動的に学んで行くものと言えましょう。つまり「インサイド・アウト」を中心とした指導は、幼い時から「価値観教育」や信仰教育を通して養ってきた観念的神を、具体的に生きて働く現実の神として、子供達の活動と生活のなかで体験させていく教育指導の第一歩なのです。

インサイド・アウトの実践
私達一世の場合、今までの前線活動や教会生活を通じて、色々な内的勝利圏が外的勝利に展開した事を覚えています。その内的勝利とは、完全投入の基準であったり、一体化の勝利であったり、裁かない心情であったりとか、いくらでも例はあります。私達はそれから来る所の外的勝利を霊界協助とか神体験等と呼んで来ました。そして今、我々は後天時代において、子供達にその様な貴重な体験を、地域の奉仕活動や、家庭をの中の日常生活の中でも経験させようと言う訳です。


原理と霊界がある限り、一般社会においても、偶然には起こりがたい出来事が、実際には色々と日常的に起っているはずです。しかしながら、多くの一般人は、内的に物事の原因を見る眼がなくて、その様な貴重な体験を見逃しているのではないでしょうか。又、たとえ何人かの人が内的、原因的に物事を見る眼があったとしても、その観点や洞察力を通してむしろ他人を分析したり批判するのが普通であり、自己反省したり、自分の責任として自ら先に変っていこうとする人はあまりいないでしょう。

実際、物事の見方(観点)とその取り組み方(姿勢)の違いによって、同じような経験や苦労を通過した人の中にも、ずい分と成長の違いが出てきます。そしてこの事は、わたしたちの今までの前線活動や教会生活の中でも、ほぼ同じ事が言えるのではないでしょうか。極端な言い方をすれば、同じ様な苦労の道を行ったとしても、物事を内的にとらえ自分から変ろうとする人は成長し、色々な霊界協助による神体験も沢山あるはずです。その反対に物事を外的にとらえよく他人のせいにする人は、成長するどころか恨みの多い人生を送り、霊界の協助による神体験も少ないし、たまにあったとしても見過ごしてしまうことでしょう。


ですから子供達に於いても、色々な活動の後や、日常生活の中でいつも、正しい観点と姿勢を指摘し教えてあげなければ、彼らもなかなか気付かないのは当たり前です。反対に、親が時々子供の報告を聞いてあげて、色々な事が起る原因と、彼らがそれに対してどの様に対処し変っていくべきかをタイミングよく話してあげれば、子供達はどんどん吸収していきます。その様にして、子供達は色々な活動や、日常生活の中でいかに自分の内的な姿勢、心情、動機、投入等が外的な実績、環境、人間関係に繋がっているかを目の当たりに見ながら、体験的に神と霊界の存在と原理の真理性に対する確信を深めていくのです。

<親と子の訓読家庭教会>より

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