2016/08/13

4月24日訓読会での顕進様のメッセージ (2)

顕進様が今年の4月24日にシアトルコミュニテイーでの礼拝で語れた内容を個人のノートからお伝えしています。

彼らは私達の運動を宗教宗派のモデルに基づいて動かしたかった
 皆さんが私の就任式の時に何が起こったかを覚えていれば、いまだかつてそのような就任式が無かったことが分かるでしょう?お父様は今までになかった全く新しい位置を作られたのです。私がその責任を受けた時、私は何を話すべきかお父様に尋ねると、私たちの基盤の上に構築できる青年運動を起こすべきだと言われました。2000年代頭初からの多くの(若者の)エネルギーは何処から来たと思いますか?多くの(若い)指導者にとって、その時は人生の中で最もエキサイティングな時でした。しかしその頃教会は、私を追い出すために、途方もなく苦しい時期を送っていたと思いませんか?それで、彼らは私を(霊的)十字架にかける為の宣伝をする努力して回ったのです。それら一つ一つの出来事が全てが平面的に起こったものではないということが見え始めてきませんか?

誰がその過程をリードしていたと思いますか?それこそ、父子協力が鍵となるところです。何故でしょう?皆さんは長子の位置が非常に重要だった理由を理解する必要があります。どのように神が主権を立てることができますか?創世記の物語は二世に移行していきます。三大王権は、神の地上の主権を代表します。サタンは、弱点のある男性と女性を通して、この(父子)関係の間にくさびを入れて問題を起こそうとします。私がすべての組織の責任者になって間もなく何が起ったでしょうか?

お父様は祝福家庭のすべてが再教育される必要があると発表されました。その時、それは何年でしたか? 2001年?そうです、それは15年前ですね。私は今47才です。彼らは何歳でしたか?(参加者の)全員が40代でしたね。彼らのささいな野心の為に彼らはサタンに利用されたのです。お父様がその改革をもたらすために頼んだ人は誰だと思いますか?多くの者たちは権力を維持したかったので抵抗しました。彼らは私達の運動を宗教宗派のモデルに基づいて動かしたかったのです。神の摂理をリードするように私達のメンバーに力を与える代わりに、彼らは宗教指導者に従う教会を作りました。

組織において、なぜそれが卑劣だと思いますか?何故それが駄目なのでしょうか?全てのレベルにおいて悪い結果がもたらされるからです。組織レベルにおいては、そこには主人意識が無くて、個人の責任分担もありません。何に対する主人意識ですか?神の摂理に対してです。あなたが教会の(ただ)一会員であるだけならどうなるでしょう?(本来)皆さん一人一人は、神の摂理に貢献できる何らかの才能や能力を持って生まれたのです。次世代の者は、このことにエキサイトすることができたと思いませんか?組織レベルにおいては、それはホールディングカンパニーのようなものです。その宗派教会のモデルは、ホールディングカンパニーのようなものです。

お父様は訓読ファミリー教会の重要性を強調
新しいワインが来るときは、人々がエキサイトするべきだと思いませんか?それで、お父様は訓読ファミリー教会の重要性を強調したのです。それで、もし組織化したいのであれば、メガチャーチの多くがやっているような、セル(細胞)モデルのようになるのです。(本当は)私達はそれを超えて行きますが、説明的にはそれで分かるでしょう。

なぜそれが最後の7年間が非常に重要であるといういう意味になるのですか?このことは、私達の欠陥部分に光をあてて、私達の運動に対して宣言しているのです。皆さんはそれら全ての欠点に光を当てて、明らかになったと思いますか?もし皆さんが祝福家庭ならば、このことを理解する必要があります。私がこれは私たちの歴史の中の転換期の瞬間だったと言うときは、それはお父様の考えのなかに明確な計画があったという事です。

(その後)UPFの創設と一緒に、内部のコミュニティだけでなく、平和大使も一つの大きな傘の下に置かれたのです。お父様は、私たちの運動を何の為に準備していましたか?お父様は平和大使の運動を開始しましたね。どうしてですか?特に世界平和宗教連盟は、なぜ多くの名前を通過しながら最終的にはUPFの発足につながったのでしょうか? (つづく)


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2016/08/12

4月24日訓読会での顕進様のメッセージ (1)

顕進様が今年の4月24日にシアトルコミュニテイーでの礼拝で語れた内容を個人のノートからお伝えします。

多くの祝福家庭はその時の摂理的分岐点を理解していない
「私が1998年に公的使命を出発して以来、これがいつも問題となっています。多くの祝福家庭はその時の摂理的分岐点を理解していないと思うのです。私の「相続と発展」ツアーのメッセージを読めば、その当時私が統一教会の歴史は摂理的通過点であったことを、祝福家庭に訴えていることが分かるでしょう。

お父様が統一教会を設立した理由は、神が準備していた準備基盤が父を受け入れることができなかったからです。それでお父様は6000年歴史の蕩減をしなければならなかったのです。なぜお父様は統一教会を作られたのですか?それは世界的なレベルで摂理するためです。救世主の使命は、全世界に救いをもたらすことです。そこにお父様が統一教会の時代は終わったと言った理由があります。だから、その当時私は「定着時代」というテーマをかかげながら、ユダヤの人々が荒野から出てカナンの地に入っていく例をしめしたのです。

90年代の後半に何が起りましたか?お父様は統一教会の時代は終わって、定着時代が始まったことを宣言されたのです。それで何が起こりましたか?1998年は、私たちの運動の歴史における転換点だったのです。それで、お父様は何をされましたか?お父様は指導者達を再構成されました。それは世代交代でもありました。しかし、多くの指導者は何が起こっているか理解していませんでした。お父様は、私たちの運動が定着時代に入っていく為に、次の世代の準備をしておられました。お父様は何を作られたのですか?世界平和家庭連合です。なぜ「世界平和」というのがそんなに重要なのでしょうか?それは、真の家庭の意味に繋がっています。それが、祝福家庭が真の父母様と真の家庭の出現を理解しなければならない理由です。

本来の真の家庭に対する摂理的期待とは、正しい文化を構築すること
真の家庭は、アダムの家庭の失敗を再蕩減しなければなりません。皆さんは、真の家庭とは平安と真の愛に根ざされた自然な家庭規範のパラダイムの上に建設され、平和の先例基準を立てるものであることを理解しなければなりません。平和は心と体における個人レベルから始まります。そして、それは天の父に連結され、創造目的を理解した個性真理体を通して、それぞれの家庭の中で具現化されなければなりません。

本来の真の家庭に対する摂理的期待とは、正しい文化を構築することです。このことに関して私の兄弟は間違った見解を示しました。これこそが、お父様が「正午定着」として何度も警告した時代のことで、これから私達の無知や失敗はその影を通して現れて来ます。皆さんは過去7年間が、私たち祝福家庭の状態を反映していると思いませんか?歴史的説明に戻りますが、その時は神の摂理的分岐点だったのです。それは、お父様がキリスト教の準備基盤と再び連結される為の世界的舞台をもたらすものだったのです。」<つづく>


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2016/08/10

4. 「レイズアップ・バー」

レイズアップ・バーの意味
私達親が、前述したような一連の経験学習を子供達に指導していくと、彼らは色々な活動や日常生活の中で、今まで見逃していたことに注意を払い始めます。そして色んなところから神のメッセージを探ろうとし始めます。例えそれが、小さな出来事であっても、子供達にとってはとても新鮮な神体験となっていくのです。祝福子女の教育において、我々は最初に上手く彼らを神に繋げてあげることが大切で、そこが上手く繋がれば、後の信仰、心霊、心情的成長は、子供達が自分でどんどんつかんでいくようになります。何故ならば、子供達が神の存在を確信し、更に日常生活の中で導く神の愛を感じると、祝福子女としての本来の本心が啓発され、自らより高い基準を目指し始めるのです。


その様に、子供達が強い決意と高い目標を立てた後、前回より高い次元と多い投入で「インサイド・アウト」、「チャレンジ・リミテイション」、「エクスピリエンシャル・ラーニング」を実践していくことにより勢いを増しながら奇跡的な成長循環をして行くのです。その様に、自主的に常に高いゴールをたてさせて行かせる教育概念を「レイズアップ・バー」と呼びます。顕進様はその様な能動的情熱を「アスパレイション」と呼んで、それが本来の若者の特長であると言われます。つまり、顕進様の言っておられる成長とは新しい自分になる為の変革(トランスフォーメイション)のことであり、過去の経験を基にした改善(インプルーブメント)だけではないということです。以前の自分では感じられなかったことを感じ、出来なかったことが出来るような「奇跡(ミラクル)」を起こして自己変革していくことです。


以上の様な原理的な善の循環運動がらせん状に起こり始めると、「インサイド・アウト」の焦点は、もはや出発の時の様な単なる自分の内的な観点や自主的な姿勢に留まらず、神を中心とする観点と神を中心とする姿勢に昇華して行きます。このように絶えず神を意識し、常に神に報告し、そしていつも神の意思を求める生活こそが正に真のお父様の言われた「報告生活」であり、「正午定着」の生活ではなかったのではないでしょうか。子供達はその様な生活を通して、どんどんと神からの個人的な愛と導きを感じながら、神と親子の心情因縁を深めていき、その道を切り開き示してくださった真の御父母様に対して限りない感謝と愛を示すようになるのです。

四つの教育概念の将来的意義
ところで、これらの教育はいつ頃から始めるべきでしょうか? 本格的に始めるのは、原理的に見て子供が思春期に入ったころであります。勿論、それ以前からやってもかまいませんし、特に家庭を中心とした価値観教育はもっと幼い時から始めるべきです。一般社会に於いて、思春期とは自我が目覚め、異性に興味をもったり、親の言うことを聞かなくなる時期と捉えている教育者も多いのは確かです。しかしそれは人間が堕落したからであり、原理的に見た場合、思春期とは自我に目覚めて神を知る時なのです。またそれこそが我々の祝福子女の本来の基準でもあります。


しかしながら、全ての子供達が直ぐに神の心情に開けて来るとは限りません。中には、神の存在に無関心であったり、神に対してプレッシャーや恐れを感じてしまう子供達も多くいます。それ以前に、正しい価値観がまだ完全に立っていない子供達もいるでしょう。だからと言って、教会活動や教会責任者に子供の教育の全てを任せる訳にはいきません。おそらく、何らかのサポート・システムや、その為の地域の共同体等は必要でしょう。しかし後天時代における子女教育の中心的責任は、既に私達直接の親にあるのです。勿論、私達親もいまだ理想人格や理想家庭を完成していないのも現実です。ですから、まず私達親自身が四つの教育概念中心として、日常生活のなかで頻繁に神を感じる訓練をする必要があるのではないでしょうか。


親達が信仰生活に関して一歩でも二歩でも子供達より先に進んでいれば、その親は良い先生やアドバイザーになれます。もし親の方が間違えたら、素直に子供に謝って何が良くなかったのか一緒に考えれば、良い教育材料になるでしょう。成功例や失敗例を子供達に証しながら一緒にやっていくのも良いでしょう。高校生や大学生位になれば、既に子供達と一緒に神と信仰生活の話が出来なければならないでしょう。そして理想的には、子供達が祝福を受けて家庭を出発した後、私達親を既に超えていって欲しいものです。


以上のように、親と子が一緒に信仰生活を行いながら、共に成長していくことが、正に訓読家庭教会の摂理的使命ではないでしょうか。今は定着の時代であり、家庭を中心とした時代です。つまり、これからは組織よりも我々の家庭に信仰と教育と血統と神の心情を根付かせなければなりません。それが正に我々祝福中心家庭の「後天時代」の生活であり、「天一国」の具体的建設の道ではないでしょうか。

<親と子の訓読家庭教会>より

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2016/08/09

3. 「エクスピリエンシャル・ラーニング」

エクスピリエンシャル・ラーニングの意味
さて、子供達が「インサイド・アウト」を中心として、「チャレンジ・リミテイション」で説明した様に少しづつでも限界に挑戦していくならば、彼らは経験を通して色々な事を学んでいきます。このことを「エクスピリエンシャル・ラーニング」、すなわち経験学習と言います。と言うことは「エクスピリエンシャル・ラーニング」による学習は、受動的に何となく活動・生活していても本当の意味では出来ないと言うことです。経験学習は「CARP・Epistemology」(カープ式教育的認識論)の中心でもありますが、本当の経験学習をする為には、その前に正しい内省的観点と自主的姿勢、そして挑戦精神がなければいけないのです。



旧約的神体験の限界
私達が一般的に教会で経験する「神体験」とは、日常的には起こりえない不思議な経験をした時のことを言うようです。この様な外的奇跡体験は特に信仰初期においては必要かもしれませんが、その様な外的奇跡だけが「神体験」の全てではありませんし、それを経験することが信仰生活の最終目標でもありません。私はこれを旧約的神体験と呼んで、次のレベルの新約的神体験や成約的神体験と区別しています。


イスラエル民族が荒野で出会った奇跡の神体験は、人々に一時的な影響を与えましたが、信仰を長く保ち続けるのは難しく、結局目標に到達できませんでした。何故ならば単なる外的な奇跡体験だけでは、決意するきっかけにはなっても、個人的な心霊的成長や心情的成長までには至らないからです。そして、定着時代にはいるとそのような不思議な出来事がいつまでも起り続けるとは限らないからです。真の御父様が語られた信仰生活における三年目の試練という言葉も、霊界による協助とプッシュだけではいつか限界が来ることを証明しています。


外的奇跡体験が良くない訳ではありません。大切な事は、それらの外的体験を通して、神が自分達に何を教えようとしているのかという神の意図とメッセージを尋ね求める信仰姿勢です。そのように内的意味を探す視点が、「インサイド・アウト」の観点であり、まず自分から変っていこうする姿勢が「インサイド・アウト」の姿勢であります。逆に言うなら、自分の内面を変えないで、他人を変えようとすることは原理的方法でなく、自分も出来ない事を他人にさせることは誤った信仰生活であり、それを続けるとどんどんと間違った霊界から悪影響を受けるようになることもあります。

日常生活で神を経験する後天時代
さて、子供達が「インサイド・アウト」の正しい観点と姿勢をもって、更に「チャレンジ・リミテイション」を通して自らの限界に挑戦しながら、内外共に突破しようと日々努力を続けていくと、神はあらゆる時に、あらゆる場所で、あらゆる方法や、あらゆる人を通して、ヒントを示したり、警戒をしたり、導いたりされるようになります。それらを通して子供達は自身の生活環境と人間関係の中で、神がいかに現れ、何を願われ、どう勝利して欲しいと思っておられるかを少しずつ悟るようになります。


その様な日常生活での奇跡は時には小さなものもあり、気を付けていないと見過ごしてしまうようなものも沢山あります。ですから親が子供の内的事情を良く理解したうえで、報告も聞きながら注意深く見つめて、神がどう働いているかをタイミング良く指摘してあげなければなりません。そして、たとえいつも神の意思や答えが完全にわからなかったとしても、その様に神を意識し神の意思を尋ね求める生活をすること自体が大切なことなのです。毎日神様からいつも直接的啓示を受けろという意味では、決してありません。私達が知るか知らざるかに関わらず、神は私達一人一人に対して、いつもハッキリとした方向性と教育課題をもってのぞんでおられるのです。


もう一つ大切な事は、奇跡には目に見えるものだけでなく、目に見えないものもあると言う事です。たとえば、自分の心が正しい方向に向かって行ったり(アライメント)、自分の内的条件が満ちて来たりすると(精誠)、変って欲しいと思っていた人達が、何も言わなくても突然良い方向に変り始めると言う様な事が起こってきます。それは具体的に目に見えなかったとしても、旧約を超えた高いレベルでの霊的奇跡です。又、たとえ変わって欲しいと思っている人が最終的に変らなかったとしても、自分が立てた内的投入と基準が、自分自身の心霊的を引き上げたり、神や人に対してより高い心情圏でのぞめるようになったとするならば、それも目には見えない大切な心霊的・心情的な内的奇跡であり、いつかは外的にも展開されてくるはずです。

<親と子の訓読家庭教会>より

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2016/08/08

2. 「チャレンジ・リミテイション」

チャレンジ・リミテイションの意味
さて、「インサイド・アウト」の教育を通して子供達に物事を内的・原因的に見つめる「観点」を教えていくと、いかに目に見えない原因的な世界が、彼らの具体的・現象的な日常活動に繋がっているかを理解してきます。そしてさらに色々な事情・状況の中で、まず自分から変ろうとする「姿勢」を指導していきますと、どの様な自分の内的状態がどの様な外的結果をもたらすかと言う原理的パターンが体験的に解ってきます。

しかしながら、私達親でさえいつも内的に勝利し、たえず外的にも成功し続けることはありませんから、子供達に於いてはなおさらで、むしろ失敗することのほうが多いのが普通です。しかし失敗も勉強の一部です。大切なのは、失敗例も含めて、前述した様な正しい観点と姿勢を中心に上手く指導していくことで、彼らは自分達のどの様な内的限界が、どの様な外的結果の限界をもたらすかと言うパターンも解ってきます。

とは言っても内的な限界に挑戦させると言っても、幼い故に内的な事がピント来ないことや、内的な事になかなか真剣に成り切れないこともあります。それ故、精神的、霊的、心理的な挑戦だけでなく、時には肉体的にも挑戦させるような環境や機会を親の方から時々作ってあげることも必要です。もし事情がゆるせば、親子でスポーツ、山登り、魚釣り、奉仕活動等を一緒に挑戦出来ればそれに越したことはありません。

そのようにして、子供達が、自分達の幾つかの内的限界に気が付いて少しづつでもそれに挑戦して行く時、そして失敗と成功を繰り返しながらも、段々とその限界を乗り越えて行く時、彼らの観念的神の存在が、自分の生活と直結した生きた神の存在へと具体化していくのです。これが、「チャレンジ・リミテイション」(限界挑戦)の教育的意味です。

チャレンジ・リミテイションの実践

さて、私達が実際に教育指導するにおいてまず最初に大事なことは、子供達が何に対して乗り越えて行くべきかをよく把握しておくことです。闇雲になんでも挑戦させればいいと言う訳ではありません。子供達の生活の表面に出てくる派生的堕落性や色々な欠点をいちいち挙げて注意しても意味はあまりありません。特に、親の感情や好き嫌いでその場限りの注意をすることはむしろ逆効果です(「訓読家庭週報」参照)。それよりも、原理的に見て、より根源的で本質的な子供達の課題を知っておくことが大切です。つまり、「この原理的根本課題が変れば他の派生的問題も次第に変ってくる」という様な鍵となるポイントを把握しておくことです。


次に大事なのは、タイミングと順番の問題です。親がいくら子供の課題がハッキリ解っていたとしても、子供がその様に思わなければ意味がありません。たとえ正しいことであったとしても、最初から親が全部教えてあげないで、子供達が自分自身で気が付くように、タイミングよく導いてあげるのが最高の教育です。子供達に自然に気がつかせる為には、最初は解りやすいより外的な課題から入っていって、次第に内的課題に目覚めさせるのもひとつの手段です。だいたい、私達親も含めて神様が我々にのり越えて欲しいと願っておられるような中心課題は、その時々に一つか二つ位ではないでしょうか。ただ神様はひとつの挑戦が終わると、また次の挑戦という様に、絶え間なく課題を投げかけて来られるものです。


最後に、「限界挑戦」をする時には、継続する事の重要性も教えなければなりません。たいていの子供達は一時的に頑張ることは出来るものです。もしうまく決意をさせて雰囲気さえ作ってあげれば、一時的に頑張ることはそんなに難しいことではありません。しかしながら、一般的に子供達に共通していえるのは、その決意が長続きしないし、努力の根気が続かないと言うことです。ご存知の様に、蕩減復帰に於いては必ず数理的期間性がありますし、創造原理に於いても全てに成長の期間性があります。ですから子供達にも勝利圏が具体化するまでは根気良く続けて行くことの大切さを教えなければなりません。


いくらがんばったとしても勝利の目前であきらめてしまっては奇跡は起こりません。私達もサタンがいつも内的勝利の目前に現れて妨害し、逆に神が内的勝利の直後に現れて奇跡を起こすのを見てきました。つまり、内的勝利が外的勝利に転化するまでには、いつも時間性があるのです。そして多くの一般の人々は、その様な神と原理を知らないが故に、内的条件や精誠が満ちる前にほとんどの場合あきらめてしまうのです。そうなってしまうと、私達の活動にも生活にも永遠に奇跡は起こりませんし、神体験も出来ません。顕進様も大きなイベントの前にまず精誠を尽くすことの大切さをよく我々に教えておられます。

<親と子の訓読家庭教会>より

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2016/08/07

1.「インサイド・アウト」

個人の霊的成長における四つの教育概念

私達親が、どの様にして自分の子供達に具体的に神様を体験させてあげ、さらに心情の成長を助けてあげるかという課題を扱う時に、とても良い参考になるのは、顕進様がワールド・カープの会長をされていた時に説かれた霊的成長の為の四つの教育概念です。これは「CARP・Epistemology」(カープ式教育的認識論)とも呼ばれ、子供がいかにして経験によって学んでいくかを説明しようとしたものです。それらを「インサイド・アウト(inside-out)」、「チャレンジ・リミテイション(Challenge Limitation)」、「エクスピリエンシャル・ラーニング(Experiential Learning)」そして「レイズアップ・バー(Raise up Bar)」と呼びます。

なぜその様な新しい内容を紹介する必要があるのでしょうか。それは私達が今まで学んできた信仰指導や心霊指導の内容は、どちらかというと万物復帰や伝道活動や教会生活の様な伝統的な宗教生活の中で実践されてきたもので、一般的な日常生活の中では完全には使いこなせないものや、なかなかあてはまらない部分がずい分あるからです。ここで紹介する内容は、以前のような特殊な教会活動だけでなく、一般的な奉仕活動や野外活動、さらには日常的な学校や家庭での生活環境の中でも実践出来る教育の基本概念であり、子供達だけでなく私達親も使える後天時代における信仰生活のガイダンスにもなるものです。

そしてこの内容は真は真のお父様のご指導を、具体的にそして真剣に実践してこられた顕進様の生きた信仰の証でもあるとも言えましょう。以下はその4っつの概念を、私が実際の教育現場で使った経験をもとに、アウトラインとして簡単にまとめてみたものです。もともと高校生以上の子供達の教育を対象としたものですが、中学生からでも十分に使える内容もあります。

インサイド・アウトの意味
私達が色々な活動や環境の中で具体的な内的成長をする時、実際にどの様な不変的原理原則が働いているのでしょうか。先ずその原則を、いままでの教会の組織的活動だけにとらわれず、創造原理的観点から、純粋に再検討してみる必要があります。

その不変的原理原則の最初が、「強調文インサイド・アウト」です。その意味は何かと言うと、私達の活動や生活のなかで起っている全ての内容は、内外の二面性でもって繋がっているという事と、その二面性に於いていつも内的なものがより主体的・原因的であり、外的なものはより対象的・結果的であると言う事です。

つまり、外的なものは基本的には現象結果であり、その前にはいつも内的な原因がある為、私達の内的な勝利基準はいつか必ず個人と全体の外的勝利へと展開していくと言う事です。この様な根本原理は真の御父様がいつも語っておられた「天宙主管の前に自己主管」と同じです。顕進様はそれを「内的勝利が外的勝利になる」とも表現されておれます。

この教育の概念は、内的で原因的なものを主体とし、外的で結果的なものを対象とする、創造原理の中の二性性相の法則が基本になっていることは言うまでもありません。更に、究極的な原因者であり、永遠で不変な価値と幸福を求めている無形なる神の実在を結果的・現象世界の中で経験を通して証明しようする理論的過程は創造原理のそれと基本的には同じです。


インサイド・アウトで教えるポイント
インサイド・アウトで具体的に何を教えるかと言うと、先ず第一に物事を外的に見過ごすのではなく、内的に原因的に見つめる観点(価値観、生活観、人生観)です。そして二番目には、その内的原因をもって他人を批判するのでなく、むしろ自分の中に原因と解決を求め、まず自分から変ろうとする姿勢であります。このような自主的姿勢を顕進様は「オーナーシップ」(主人意識)とも呼んでおられます。正しい内省的観点と正しい自主的姿勢は神や霊界を信じる宗教人だけでなく、全ての良識人も共通して実践するべき生活の基本的姿勢でもあります。


そういう意味で「インサイド・アウト」は先に述べた「価値観教育」(「訓読家庭週報」参照)と繋がっています。ただ「価値観教育」は幼い時から主に親を通して家庭の中で受動的に学んでいくものですが、「インサイド・アウト」はその「価値観教育」の上に成り立っていきながら、更に家庭以外での経験も含めて能動的に学んで行くものと言えましょう。つまり「インサイド・アウト」を中心とした指導は、幼い時から「価値観教育」や信仰教育を通して養ってきた観念的神を、具体的に生きて働く現実の神として、子供達の活動と生活のなかで体験させていく教育指導の第一歩なのです。

インサイド・アウトの実践
私達一世の場合、今までの前線活動や教会生活を通じて、色々な内的勝利圏が外的勝利に展開した事を覚えています。その内的勝利とは、完全投入の基準であったり、一体化の勝利であったり、裁かない心情であったりとか、いくらでも例はあります。私達はそれから来る所の外的勝利を霊界協助とか神体験等と呼んで来ました。そして今、我々は後天時代において、子供達にその様な貴重な体験を、地域の奉仕活動や、家庭をの中の日常生活の中でも経験させようと言う訳です。


原理と霊界がある限り、一般社会においても、偶然には起こりがたい出来事が、実際には色々と日常的に起っているはずです。しかしながら、多くの一般人は、内的に物事の原因を見る眼がなくて、その様な貴重な体験を見逃しているのではないでしょうか。又、たとえ何人かの人が内的、原因的に物事を見る眼があったとしても、その観点や洞察力を通してむしろ他人を分析したり批判するのが普通であり、自己反省したり、自分の責任として自ら先に変っていこうとする人はあまりいないでしょう。

実際、物事の見方(観点)とその取り組み方(姿勢)の違いによって、同じような経験や苦労を通過した人の中にも、ずい分と成長の違いが出てきます。そしてこの事は、わたしたちの今までの前線活動や教会生活の中でも、ほぼ同じ事が言えるのではないでしょうか。極端な言い方をすれば、同じ様な苦労の道を行ったとしても、物事を内的にとらえ自分から変ろうとする人は成長し、色々な霊界協助による神体験も沢山あるはずです。その反対に物事を外的にとらえよく他人のせいにする人は、成長するどころか恨みの多い人生を送り、霊界の協助による神体験も少ないし、たまにあったとしても見過ごしてしまうことでしょう。


ですから子供達に於いても、色々な活動の後や、日常生活の中でいつも、正しい観点と姿勢を指摘し教えてあげなければ、彼らもなかなか気付かないのは当たり前です。反対に、親が時々子供の報告を聞いてあげて、色々な事が起る原因と、彼らがそれに対してどの様に対処し変っていくべきかをタイミングよく話してあげれば、子供達はどんどん吸収していきます。その様にして、子供達は色々な活動や、日常生活の中でいかに自分の内的な姿勢、心情、動機、投入等が外的な実績、環境、人間関係に繋がっているかを目の当たりに見ながら、体験的に神と霊界の存在と原理の真理性に対する確信を深めていくのです。

<親と子の訓読家庭教会>より

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2016/08/05

真の父母様への特別書信 (7)

4)世界財団を中心としたグローバル経済エンジンの模索

UPFを中心にして、グローバル運動組織を建設すべき必要性と同じように、世界の全ての営利団体と活動は、世界財団(International Foundation)を中心に一つにならなければなりません。このような組織の支えなくして、すべての摂理活動は持続できません。まさにこのような理由から、お父様は私に世界財団を作るようにと責任を与えてくださったことがわかります。

お父様はよくご存知でしょうが、お金の使用と支出を統制する権力は、財政支援を受ける対象である非営利摂理機関を、破壊したり買収したりすることができる強力な武器になりえます。更には、摂理的な認識が少なかったり、無知な財政担当者の意思により、このような機関が振り回させることもありえるでしょう。財団は摂理機関を右往左往させたり、「正しい」決定をひっくり返したりする間違いを犯してはいけません。それを確実にするために、財政運用に関する苦情と不満を処理したり、監督調整機能を遂行したりすることができる孤立した機構が作られる必要があります。そうしてこそ、摂理のための公的な資金が、私的な利得や過度な影響力発揮に利用されることを防止できるのです。

愛するお父様、
私は、すでに公職を引き受けた98年から、お父様が願われる目標を達成し、新しい摂理の先頭に立つことができるよう、祝福家庭の文化と統一運動の基盤を作る為に、最善の努力を尽してきました。昨年末、私はお父様に、今、私達は分かれ道に立っており、私達がどのような「方向」を選択するかによって、私達統一運動と真の家庭の未来が決定されると申し上げました。

お父様、私は息子として、お父様の使命を助けること以外に、何も願うことはありません。そのための私の率直な態度が、少なからぬ誤解をもたらしたり、お父様の聖業を認めず、そしるように見えたかもしれません。しかし、これは私の純粋な意図とは全く関係がありません。人々が心ない言葉を作り出し、更には事実を歪曲するような環境の中で、私の純粋な若さと原理的感覚は、このようなことを許すことが出来ず、結果的に敵対的行動をとったりもしました。私が余りにも正直で率直であったため、時としてお父様の心に深い傷を与え、私自身にも取り消すことの出来ない不安をもたらしました。しかし、今になって私が悟ったことは、いくら真実と正直が重要だと言っても、家族内では、これを忍耐と理解する心でよく包み込まなければならないということです。

お父様、あなたの生涯の見本を通して、私は多くのことを悟ることができました。今日、私の立場に関してお父様が、何故私が山から降りて、再び公的な使命を始めたのかを聞いてくだされば幸いです。2005年の初め、お父様の指示の後、私はどのような困難なことが起こるかよく知っていましたので、自分の使命を更に進めていく力と意思を失っていました。私は、私たちの家庭の現実を余りにもよく知っていたために、真の家庭が公的に現れる時、真の家庭に対する信頼の薄さを最も心配していました。しかし、突然、私たちは、全ての欠点を持ったままで、世界の前に現れるようになりました。

私は、指導者たちの党派的文化と政治的関係が、私たちの家庭を汚染することは、時間の問題であることを知っていました。「類は友を呼ぶ」という言葉と「水は高きより低きに流れる」という言葉のように、私達の運動内にある境界線が、共通の目的と利害関係を持つ人々によって、私たちの家庭にまでもたらされることを知っていました。私にとってそれは、真の家庭の理想を根本的に壊すものとして、許すことのできないものでした。私は、自分の利益を優先する政治的な過程野体制の中では、神様を見出すことができました。そのために、いつも汚れのない自然が、私の「本当の教会」であり、そこで神様が私の中に存在していることを体験させてくださり、私の行くべき道を悟らせてくださいました。あの深いアラスカの山の中で、神様は私に山から下りて、お父様を助けて差し上げなさいと語られました。今はいかなる時よりも、お父様が私を必要としている、と悟らせてくださいました。

しかし、再び戻ってきた時の状況は、私が想像したよりもずっと難しくなっていました。私はその後、家庭の中ですら、私と私が行っていることに対して、多くの誤解を受けるようになりました。更に、偽りの考えが事実のように形作られ、私が真の家庭に関心を持たないで、強欲にも全てを支配しょうとし、周囲の人たちに謀略に振り回されていると攻撃されました。根拠のないでっち上げに私の兄弟たちが同調し、ご父母様さえも心が揺れ、ある時にはそれを認められるような印象を受けた時、私は当惑せざるを得ませんでした。人は歳をとり、時間が過ぎれば変わるものだと言いますが、生まれつきの根本的な性懍は変わることなく、むしろ生涯の経験を通して深さを増していきます。35年前の清平で、他の兄弟たちがご父母様と一緒に船に乗れるようにと、自ら後に残ったその子供、お父様がそのように記憶しておられるその子供に対し、このようなうそが投げられているのです。

お父様、摂理的なみ旨に根ざした共通の目的と方向性なしには、このような混沌と分裂は、次世代にも持続するでしょう。お父様の本当の「レガシー」を正しく認識し、お父様の波乱万丈な生涯の原動力になったその「夢」の相続を受けてこそ、本当に「一つになる」ことができます。お父様が創造原理を通して現された「神様の夢」が、私達統一運動は勿論、真の家庭を導く光とならなければならないと、私はいつも信じていました。ご父母様の直系だと言って、自然に神様と人類が願う真の家庭になるのではありません。真の父母様が、限りない試練と苦難を通して真の父母の立場にまで上がられたように、私達も、神様と人類が願う真の家庭になるために、私達自ら磨いていかなければならないのです。

お父様、私に対してご心配なさらなくても結構です。どのような困難と謗謗が私の前を塞いだとしても、お父様とみ旨のための私の覚悟と行動は続くでしょう。お父様の夢とレガシーは、私達を通して世界の前にずっと広がっていくでしょう。神様は実に神秘的に働かれます。お父様は、この摂理の最後の時に、父子協助がどのくらい重要かということを、私に語らえたことがあります。その時には私は理解できませんでしたが、このすべてのことを通して、今ようやく悟るようになりました。アダム家庭で、サタンは長子権、父母権、王権という三つの一を奪っていったとお父様は教えられました。それによってサタンは、血統と父子の関係を神様から奪っていきました。この理想を復帰するために、お父様は、私に公的な責任を与えられた時から、私に絶対的にお父様とアラインすることを願われました。しかし、それを感じる次元に留まり、今まで本当に「悟る」ことができませんでした。今になって、この悟りを得ることができるようにしてくださった神様に感謝を捧げ、お父様の大きな理解と忍耐に心から感謝いたします。

長い時間聞いて下さり、深い思いやりをくださったことに感謝申し上げます。孝進お兄さんの昇華で、心を痛めておられるご父母様を思いながら、更に一層、孝子の道理を果たして参ります。

あなたの愛する息子、顯進拝上
天一国8年3月23日

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2016/08/04

真の父母様への特別書信 (6)

3)各摂理運動機関の協力とチームワークによるUPFブランドの確立とグローバル平和運動の構築

全ての主要摂理機関は、最上位機構であるUPFを中心に隊列を整え、UPFのグローバル目標と当面課題に従って各々の活動をアラインさせ、展開していかなければなりません。このような隊列に、家庭連合、女性連合、青年連合などをはじめとしたすべての平和連合体と、統一運動の活動的傘下機関全てが含まれなければなりません。このような問題は、私たちが摂理目標をなす上で、平和大使や外部パートナーと共に大きな役割を遂行する時、大変重要な課題となります。世の中は、私たちをすべて一つのグループとして見ているのに、各々お互い違った指導者と違った運動の方向に執着したら、それほど愚かで無責任な行動もないでしょう。

今まで散らばっていた全ての摂理組織は、再び共通の国際戦略と目標に集中し、組織的にはUPFとアベルUNを中心に、体系をアラインさせなければなりません。私は、このようなことはお父様がUPFを立てられた時、抱かれた構想だということを知っています。そして、お父様の祝福と支援の下、このような内容が早急に施行されなければならないということも知っています。


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2016/08/03

真の父母様への特別書信 (5)

2)「One Family Under God」のビジョンを中心としたグローバル超宗教運動

お父様、お父様は世界キリスト教統一神霊協会を最初に創設された時、夢を持っておられました。その名称にも現れているように、お父様のメッセージは単に超教派的であるだけでなく、超宗教的でもありました。大部分の宗教指導者が、自分の教派と信仰伝統の成長にだけ焦点をおいて、超宗教的なメッセージに対しては関心すら持っていなかった時、お父様は「絶対価値」を中心としてすべての宗教人が決集することを、一人訴えて来られました。お父様はいつもその召命の前に忠実であられ、ついに世の中がそれを認定し従うようになって来たのです。

お父様の超宗教メッセージは、最近になって超宗教運動に便乗した人たちとは違うものでした。彼らは各々の宗教儀式を共に行い、相互間の親睦を企図しながら宗教間の和解と平和的共存の必要性を主唱しています。しかし、このような接近方式は、たとえ表面的には平和的な共存をなしたように見えるかもしれませんが、一時しのぎの解決策に過ぎません。何故なら今日、それぞれの宗教を規定している神学と伝統が、各宗教の霊的な教育の主要源泉になっているためです。ですからたとえ彼らが共に儀式を行ったとしても、彼らは各自それぞれの宗教伝統に従って、人を分離し派閥化する、彼らだけの信条を未だ信じているのです。このような信条は大部分、各宗教の創始者の死後、神学と宗教伝統の形式として出現したものであり、多くの場合、創始者の本来のメッセージとは違っているのです。

それとお父様の接近方式は非常に違います。お互いに異なる神学と宗教伝統に焦点を合わせるではなく、絶対的かつ普遍的な神様の原理に焦点を置いておられます。神様は偉大なすべての宗教と共におられ、その結果、DNAのような神様の指紋が、すべての偉大な宗教伝統の中に内在しているということを、お父様は知っておられました。共通の天の伝統から導き出された「共通の原理」に焦点を置くことが、お父様の超宗教ビジョンの根本的な接近方式であり、それが昨年一年間、ILCを通して大きな成功をもたらしました。

お父様が、UN内に超宗教議会を設立するための提案書を出された時、UNを通してこのような超宗教的ビジョンを実現することを期待されたということを私は知っていました。しかし、UNは、神様を信じる世界人類を代表できないまま、無神論的な機構になってしまい、この大胆な主張に対して十分に支援できませんでした。しかし、神様は考えられない方法でみ旨を成就されます。UPFがOne Family Under Godのグローバルな超宗教運動を主導するようになれば、超宗教に関するUPFの独特な観点に、全世界が注目するようになるでしょう。

私たちがこのような摂理的方法に動けば、大変な可能性がもたらされるでしょう。勿論、全てのことが順調に進行することはないと思います。天一国福年は神様の夢を相続し結実に向かって跳躍すべき時ですが、上で指摘した問題が、この運動の勢いを妨害しています。もし、私たちが多くの教会の中の一つとして残るのであれば、どうして私たちが「共通の原理」に基礎を置いた新しい超宗教運動の指導者になることができるでしょうか。そして、更に根本的には、もしこのような「共通の原理」が私達の統一原理だとすれば、どうして統一原理が一つの宗教だけの神学になることができるでしょうか。原理は神学の枠組みを越え、どんな宗教人でも彼らの根本価値観として所有できる、絶対的かつ普遍的な天の真理にならなければなりません。

私たちの運動が、この時代の祝福を現実化し、One Family Under God建設という夢を実現するためには、お父様が、人類を分離させるすべての障壁、特に宗教的な障壁を「徹廃」するべきだといつも教えておられるように、先ず私たちが、模範的先例を見せなければなりません。神様と真の父母様の本然の目的を実現していると考えながら、統一教会という組織に執着するとしたら、それは理解できないことです。
このような時に合わせて、私たちは祝福家庭の文化を整備すると同時に、統一運動全般を再び整備しなければなりません。私達は統一教会という組織を守り育てようとするよりも、宗教の障壁、特に私たち自身の壁を徹廃し、One Family Under Godの平和ビジョンを中心にした、全世界の宗教を一つにする真の超宗教運動へと跳躍しなければなりません。私たちがそのように行動すれば、自然と世の中は、真の父母様に対し、宗教を超越し神様と人類の夢をなして行かれる方として認識するようになるでしょう。それだけでなく、原理が一つの教団の神学ではなく神様から啓示されたものであり、全ての宗教の根本的教えと通じる普遍的真理として受け入れられるようになるでしょう。

ご父母様の超宗教運動は、宗教的に多元的国家である韓国で、最後の花を咲かせなければなりません。このようなグローバル超宗教運動の力は、韓半島の多くの宗教を一つにする基礎になるばかりでなく、韓国が北韓と統一に向かって進んでいく時、いかなる無神論的な影響からも保護することができる力になるでしょう。
私たちが自らメガ、チャーチ(大型教会)の基盤を立てて、韓国のキリスト教と競争するという考えを持つとすれば、それは子供のような近視眼的な意識です。韓国のキリスト教人も、結局は私たちが消化しなければなりません。私がアメリカでメガ、チャーチの指導者に会っている理由は、私自身がメガ、チャーチを作るということにあるのではなく、イエス様と全ての宗教の創始者の使命にアラインした、より大きなビジョンに彼らを率いて行こうとするところにあります。この夢は人間が作った組織や制度ではなく、神様にその根をおいているために、いかなる教会よりも更に大きく強力な力を持っています。

万一、韓国キリスト教が、偏狭で利己的な立場を取り続ければ、より大きな信仰共同体から孤立し、内部から崩壊していくでしょう。韓国キリスト強靭も結局、神様の摂理に寄与するようにしなければなりません。このために私たちの全ての運動は、何よりも先ず、「教会」という殻を脱ぐことで、宗教の障壁を壊さなければなりません。そして、環太平洋じ大と天一国時代の基盤を築きながら、より拡大した超宗教運動を主導し、世界平和建設とOne Family Under Godの夢を実現しなければなりません。<つづく>


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2016/08/02

真の父母様への特別書信 (4)

1)家庭連合と祝福家庭の文化の再整備

ご父母様の本とのレガシーは、ご父母様が神様の本然の夢の主人になられたことにある、と言うことが出来ます。従って、祝福中心家庭が、ご父母様のレガシーを受け継ぐ真の相続者であるとすれば、彼らの使命も同じく、神様の夢の主人になるということです。単に、一つの教会や教派の設立では実現されない変革には、ある摂理的、歴史的な要請があるということを認識することが重要です。しかし、多くの祝福家庭における信仰生活は、統一教会を中心とした荒野時代の経験によって形成されたものです。そのような経験に根ざした狭い観点のために、祝福家庭はご父母様の本当のレガシーと究極的な使命を、完全に見通すことができずにいます。その結果、One Family Under God建設の夢に根をおいた、真の家庭の伝統が発現されないままに、摂理的な目標や使命を志向しない家庭として残るようになりました。

家庭連合が停滞している直接的な原因は、まさにここにあります。家庭連合の摂理的使命に焦点を合わせることができずにいます。家庭連合は、宗教圈を超越し、家庭を中心とする人間社会の全ての分野に至る、より包括的な運動という方向に進んで行かなければなりませんでした。しかし、残念ながら、このようなお父様の本然の期待とは裏腹に、既成教会が失敗した方向と構造を、意識的に模倣する愚を犯すようになりました。繰り返し述べると、神様の夢を実現するという摂理的な運動ではない「信徒を牧会すること」に焦点を置いた一つの教団になってしまいました。
これをカイン世界から見ると、神様の夢の向かって彼らを導いて行こうとする私たちの全ての努力が、私たちだけの利益のための利己的なものと映ってしまい、彼らの信仰伝統に対する直接的な脅威として見えるようになってしまいました。彼らは、私たちの原理が自分たちだけの神学とする一つの教団と見なし、彼らの直接的な競争相手として見た為に、私たちに敵対的姿勢を取り、私たちを攻撃したのです。私はそれがお父様が意図されたものではなく、願ってもおられないことであるということを知っています。しかし、これが今まで私たちが作ってきた「間違った」レガシーとなってしまいました。

更に心配なことは、教会という「組織」が信仰生活の中心になることにより、祝福家庭が摂理的使命に焦点をおかなくなったということです。神様は、宗教などの団体が必要ない世の中、即ち、One family Under Godの世界を実現することにより、人類が自由に神様と交流できるように導いておられます。その為にお父様は、家庭連合の創設と共に、訓読家庭教会摂理を始めるように指示されました。ところが私達の指導者は、摂理的目標に方向をアラインさせず、既存の基盤を維持することにだけに力を注いできました。その結果、目標意識と使命感に満ちた文化がなくなり、生存と平穏な共存のための文化が創られるようになりました。真の父母様のレガシーを相続するべき祝福中心家庭が、どこに属しているかに関わらず、全体的な摂理の方向とアラインできない状態で、彼らの摂理的責任をどのようにして成就できるのかという問題は、非常に深刻です。

それでは、真の家庭はどうでしょうか。祝福家庭を正しい方向に導いているのか、そうでなければ摂理的方向と目的を捕らえきれず、お互いに混乱を作り出しているのではないか自問しなければなりません。私たちが一つの団体を作ろうとするのか、そうでなければ、神様の夢を実現しようとしているのかという質問に、正しい答えを出さなければならない時です。

私は1998年、家庭連合世界副会長に就任して以来、ご父母様のレガシーと摂理的使命を明確に整理し、世界の全ての祝福家庭が、拡大された真の家庭の一員であることを強調して来ました。そして、そのような祝福家庭は、神様の夢を実現するという摂理的使命に焦点を合わせる事により、神様ー真の父母ー真の家庭としてつながる縦的な軸にアラインすることができ、それによって真の心情文化の主人として生きていくことができると指導しました。

心情文化とは、神様のみ旨を実現しようという、本然の目的に焦点を置いた、神様中心の愛に根ざしているのであって、目的なく共存しようとする、人間的な愛に根をおいたものではないということを認識することが重要です。私が現場を訪問した時、メンバーの苦労を知っていましたが、私は彼らに対し、神様の夢を成就するために、更に一生懸命頑張ろうと激励しました。何故ならば、特に今のような摂理の重大な時点において、それこそが私たち祝福中心家庭が本当に解放され、ご父母様の本当のレガシーを相続することができる唯一の道だと信じているからです。
私は、彼らが責任分担を完遂することによって、歴史の流れを神様のみ旨にアラインさせることができる「頂点」に立っているということを、彼らに伝えようと努力してきました。今この瞬間、私たちは二つの分かれ道に立っています。行くべき本然の道を選ぶことにより、偉大なリーダーシップと自己犠牲を発揮し、未来に大きな賞をもらうこともできれば、一方では現実と妥協して、現在の基盤を維持しようとする利己心により、方向感覚を失ったまま辺境の永遠の放浪者になることもありえます。この世界を神様の懐に再び取り戻す道を続けて進むのか、それとも一つの新しい宗団として残るのかを選択する分かれ道に立っているのです。

早急に前進するべき重大な摂理の時を迎え、私たち祝福家庭には、今こそ神様の夢に向かって前進することができるビジョンと方向が必要です。また、神様の夢の実現という最終目標に向かって行くにおいて、人間的な性向でなく、神様中心の真なる心情文化が現れなければなりません。そのようになってこそ、私たちは前進できるのです。<つづく>

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