2017/10/03

櫻井正上さんの声明文の反響

有志の会に寄せられた反響の一部を紹介したいと思います。

●Hさん

櫻井正上さんの声明文を読ませていただきました。

凄まじい苦悶と葛藤の日々を過ごしながらも、心から神様のみ旨を想い、切実に祈り求めながら良心にしたがって出された内容だと感じ、とても心に響きました。

櫻井正上さんの決意に勇気をいただきました!自分も櫻井さんのように声を上げて立ちあがっていきたいと思います!!

●Kさん

お父様が聖和してから発展ではなく、まったくの別物でした。食口たちも本心を押し殺しながらこなすのがやっとで、最も重大な問題に目を瞑っていました。

船員として、やっている事は同じでも向かっている進路が違うということに気付けて目から鱗でした!本当の真実に根ざした、忠孝の道に行けそうです!


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2017/10/03

櫻井正上さんの勇気ある行動にエールを送ります!

日本家庭連合の家庭教育局副局長である櫻井正上さんが声明を発表されました。

今まで顯進様を支持する声を上げた人々がどのような処遇を受けてきたかを考えるならば、ましてや、松濤本部のど真ん中で責任を持たれていた立場で、このような声明を出されることは容易ではなかったと思います。

顯進様を支持する食口の情報だけでなく、本部ですから当然、家庭連合が発信するすべての情報にも触れてきた立場で、長い期間の悩みと祈りの末に、このような決断をされました。すべての祝福家庭の皆さんに耳を傾けていただきたいと思います。


全国の牧会者の皆様へ

その間、胸に秘めてきた思いがありました。その思い故に、長い間、出口のない袋小路に迷い込み、答えのない問いかけを、数知れず、繰り返してきました。ここに記すことは、そうした数年間の苦悩と祈りの果てに辿り着いた私自身の結論であり、その間、私の奥底にあり続けた、偽らざる本心の叫びです。

周知の通り、我が家はいつからか“渦中の家庭”になりました。弟が、また母が、教会の志向するものとは別の方向に進み出したからです。しかし、私が見る時、彼らに問題とされる要因があったとすれば、それはただ、“真実を追求したから”に他なりません!

私は母よりも先に顕進様という方に出会い、その指導に触れました。また弟が顕進様支持を表明し、活動を始める前から、顕進様側の情報に触れていました。親しかった韓国の先輩たちが顕進様に付いて行った際、幾度となく、彼らと議論を交わし合ったからです。そのため、私は随分前から、教会で言われる内容が、事実と大きく異なっていることに気付いていました。いえ、もっとはっきり言うなら、私は“顕進様が愛の減少感ゆえに飛び出した”とか、“お父様の前に自己否定できなかった”という話がどれほど“真実”から遠いものであるかを強く感じてきた者の一人です!

にもかかわらず、私が沈黙しようと思ったのは、多くの方々同様、真の家庭の課題は私たちが触れていい内容でも、解決できる問題でもなく、必ずや子女様御自身が、お父様が、お母様が解決してくださるものと信じたからです。しかし、それは違いました。この問題は“真の家庭”だけの問題ではなく、私たち祝福家庭を代表する指導者たちの問題が深く関わっているからです !

もし問題の発端が“父母様と子女様との間の心情関係”にあったなら、そこで解決すべきでしょう。もし問題の原因が真の家庭内の“兄弟間の葛藤”にあったなら、そこで和解して頂くほかありません。しかし、もし、この一連の問題を引き起こし、深刻化させた要因が“私たち自身”の信仰姿勢や言動にあったなら、この問題解決に対する責任の5%は“私たち”にもあるはずです!少なくとも、私はその責任を果たそうとはしてきませんでした。或いは、自らに与えられた職分をこなすことを“口実”に、問題を“傍観”してきてしまったのかも知れません。

私がこんなことを訴えたところで、現場の摂理に何の益があるのかと言われるでしょう。分派闘争に巻き込むな!と思われる方々も多いに違いありません。しかし、私は今、改めて思います。これは単なるお家騒動でも、分派闘争でもありません。神の摂理の終着点は“真の家庭”であり、神とサタンの一線もそこであって、これが今後の統一運動の方向性を決する一線だと思うのです!

もし、私たちが分派だ !として叩いてきた相手が、神の摂理の中心に立っている方であり、もし私たちが自らの固定概念と信仰観をもって打ってきた相手が“神の言葉”を語っている方であり、もし私たちが二千年前、イエス・キリストを悪の化身として民衆に教えてきたパリサイ人、律法学者のような立場に立っているとしたら、私たちは神の摂理の前に重大な“罪”を犯す立場になり得るのです。

もし、今の真の家庭の状態と統一運動の方向性に、何の問題も感じていないと言われるなら、私に言えることは何もありません。しかし、一人の信仰者として、率直に、深刻な事態が起こっていると感じておられるなら、この問題の発端がどこにあり、それらが何に起因し、何を正さなければならないのかを、もう一度、深刻に見つめ直してみなければならないのではないでしょうか?


2001年に始まる天一国時代は、子女様と祝福家庭とが一つとなって、ご父母様の勝利圏を受け継ぎ、天一国創建に向けた最後の峠を越えて行く時代でした。その摂理が座礁した原因は何だったのでしょうか?顕進様が父母様に従順屈服できず、財産を強奪して飛び出した、と、本気でそう信じておられるのでしょうか?私はたとえ数年間であれ、顕進様から直接、指導を受け、その思想や信念、人格に触れてきた人間です。教会から聞かされる顕進様像には、大きな“歪み”を感じざるを得ませんでした。

もし顕進様が自らの立場に固執し、父母様の座を狙うような“政治的”な方であったなら、むしろ当時、お父様の元を離れはしなかったでしょう。それは誰が見ても“賢くないから”です!人々の誤解や不信を買い、十年来の信頼基盤を失うことにしかなりません。それよりも、“先代”に寄り添い、自らの立場を伝えていく方がよっぽど“賢い”でしょう。また、もし本当に弟たちに嫉妬心を覚えたなら、むしろ何もせずに静観し、お父様の傍らにあって、彼らを讒訴する機会を待ち続けたに違いありません。

顕進様は自らの信仰生命を賭して摂理を守り、父母様の伝統を守ろうとした…。それが、私自身が数年にわたり、当時の文書に目を通し、起こってきた事実をもとに考え、その場にいた人々を訪ね、議論し、祈り、真実を求めようとして至った結論でした。さらに言えば、そうした顕進様と父母様との間を引き裂いたのは、他ならぬ、私たち祝福家庭であり、私たちを代表する指導者たちだった!と、私は思います。

批判を恐れずに言うなら、“真の父母宣布文”は、本来、世に出てはいけない文書だったと思えてなりません。“真の父母様の指示と命令に絶対服従する”のが、本当に父母様の打ち立てたかった“統一家の伝統”だったのでしょうか?私は違う!と思います。父母様が一生涯を通して打ち立てられた伝統とは“真の愛の伝統”であり、“神のみ旨のために生きる伝統”です。私はあの文書が最初に発表された時、戦慄を覚えました。内部の組織闘争にお父様まで巻き込んだ!と思えてならなかったからです。

皆さんにもう一度、思い出して頂きたいのです!父母様の結実は“真の家庭”であり、天一国時代における中心的課題は“アベルの子女とカインの子女の一体化”にありました。当時、天から見て“善・悪”があったとすれば、真の家庭を守り、アベルの子女をお守りする側が“善”であり、真の家庭の関係に亀裂を生じさせ、アベルの子女を打つ側が“悪”だったはずです!

周藤先生はかつてこう教えられました。「祝福家庭はカインの子女として全存在をかけてもアベルの子女を守らなければならない…カインの子女がこの責任を果たせない時にはアベルの子女が犠牲となり、ひいては既に勝利された真の父母に対してさえサタンが打ってくるようになる…(成約摂理解説P272)」

こうしたことは、かつての私たちにとっては“常識”でした。しかし、今や“真の父母”のみを絶対視し、“真の子女”は相対化され、天の摂理が“真の家庭”にあったことなど、とうに忘れ去られてしまったかのようです。かつて、顕進様が公的に立たれ、これを中心に二世圏が立ち上がっていたあの時代、サタンが何よりも打ち砕きたかったのは、未来へと続く“真の家庭の基台”でしょう。父母様の勝利圏と伝統を本気で相続しようとする未来の指導者を、サタンは何よりも恐れたはずです!当時、顕進様を激しく糾弾した一連の事件が“サタンの業”でなくて何だったのでしょうか? 私たちは全員で“真の子女を打った”のです! あの時の私は、半ば真実に気付きながらも、“自分のような小さな者にできることなど何もない”として沈黙し、傍観した“二千年前の弟子たち”と同じだったのかもしれません。

“お母様を信じよう、必ず解決してくださるはずだ”…、私もそう考えようと努めました。が、起こって来る現実をみる時、深刻な思いにならざるを得ませんでした。“真の父母”の勝利圏は“真の子女”に相続されなければなりません。原理的に見るなら、“父”の伝統を受け継ぐ“息子”を立てることこそ“母”の最も本来的な使命であり、それを助けるのがカインの子女の務めではないでしょうか。

お母様が今、語られる“独生女”の御言に対して、皆さんは本当に心から納得しておられるのでしょうか?本当にそれがお父様の語ってこられた内容と同じものに聞こえるのでしょうか?私は祝福の講義を担当してきた者として、どうしても疑問を抱かざるを得ませんでした。批判しようと思ってきたのではありません。皆さん同様、“苦悩”してきたのです。

天聖経が編纂された時、私たちは「お母様はお父様の御言に手を加えたのではない、ただ整理されたのだ」と説明してきました。その後、お母様が胎中聖別をほのめかす話をされた時、本部では「血統転換を意味しているのではなく、お母様の出生の価値を強調されたのだ」と解説してきました。しかし今や「お母様の無原罪誕生」はほぼ公式見解となり、異論を唱えるのもはばかられるようになりました。

今後、「お父様には原罪があった!」とされても、「お母様の御言なのだから信じよ」となるに違いありません。お母様がそれを語られたのは“事実”だからです! 気付かぬうちに、私たちが価値視すべき原理観や信仰観の根幹がずれてきているように感じるのは、私だけではないはずです!

信仰歴の長い方々は、こうも言われます。“私たちがそれを指摘したところでお母様が考えを変えてくださる訳ではないのだから、たとえ間違っていようとも、侍って行くことが子女の道理ではないか” と。しかし、本当に、ただ黙って付き従うことが“お母様のため”なのでしょうか?

私はお母様を愛する者です。二世である私にとって、父母様は、御言を知る前から父母様でした。しかし、お母様を愛することと、お母様を神格化して無批判的になることとは違うはずです。また、私はお母様のお父様に対する深い愛情を信じる者です。しかし、そのことと、お母様の語られる言葉と示される方向性とがお父様の原理観・摂理観と一致しているかは別の話ではないでしょうか?どこまでも“神の摂理”の方向に向かってお母様を支え、共に歩むことが“子女の道理”ではないでしょうか?

統一運動は“神の摂理”に生き、それを果たそうとする運動でした。私たちは、父母様を崇めて天国に行こう、という宗教を信じてきたのではありません!父母様の生き方を相続し、神の願いに生きようとする群れが統一家であり、それが私にとっての統一運動でした。いつから、真の父母様の“一代記” を信じ崇める信仰集団へと変わってしまったのでしょうか?

HJ 天苑は誰のためのプロジェクトなのでしょうか?食口のためでしょうか?世界平和のためでしょうか?それを見た人々が、本当に心から父母様を慕い、そこに“神の摂理”を実感するようになるのでしょうか? 私は清平の地に新たな建造物が立ち並んでいく姿を見る度に、喜びや感動よりも“痛み” を覚えました。私の信仰のなさ故でしょうか? 食口たちの苦労と窮状を知る牧会者の皆さんなら、同じような思いを抱かれないでしょうか?

真の父母様の生涯の結実は、天一国の起点は、荘厳な建造物などではなく、“真の家庭”であり、“祝福家庭”であるはずです!私たちの運動の本質が、“行き先”が、変わって来てしまっているのではないでしょうか? 私は日本教会の改革の努力を否定したいのではありません。教会改革、祝福推進、環境創造…、それは私が最も成したいことであり、皆さんと共に、昼夜なく、力を尽くしてきた内容でもありました。しかし“船の中”の改革を必死に進めたとしても、もしその船の“行き先”が間違っているとしたら、そうした努力はどこに結実し得るのでしょうか?

私は今回の祝福が終わったら、またその一連の業務を終えたら、“辞表”を出そうと考えていました。その間、責任者の方々に、自らの思いや危惧するところを伝えてきましたが、顕進様に対する姿勢も、UCI訴訟も、独生女理論も、HJ天苑プロジェクトも、それらは全て“大本営”の方針であって、日本教会でどうこうできる問題ではありませんでした。

組織の方針を受け入れられないなら、己の信念を貫きたいなら、自らが潔く、静かに身を引くのが組織人としての筋でしょう。しかし、辞表を書き上げてみた時、思いました。これは本当の意味で、責任ある行動ではないんじゃないか!と。“行き先が違うから”と言って、“家族”を残し、自分だけ“船”から降りるという選択ができるのか!と。私にとって、食口たちは“家族”です!苦労の中を、共に“神の御旨”を果たそうと歩んできた方々に他なりません。

私はこれまで、こう考えてきました。もし仮に家庭連合が“セウォル号”であるなら、私は最後までその改革に死力を尽くして共に沈もう、と。この思いは、多くの牧会者の方々の思いと同じでしょう。それが“船員”としての道理なのかも知れません。しかし、私は今、思います。“船員”の本当の使命とは“乗客”の命を最後まで守り、彼らを“目的地”に届けることなのではないだろうか!と。私たちは“船”を守ろうとするあまり、本質的なことを見失っているのかも知れません。私たちが“船”に乗り込んだ理由は“目的地”のためでした。“乗客”もまた同じであり、彼らをその目的地まで運ぶことが“船”の目的であったはずです!

食口の“霊的生命”を守るため、と言うなら、今、この家庭連合の“本丸”がどこに向かっているのか、食口たちの汗と涙と精誠が、日本教会の変革の努力が、本当に神の摂理に直結しているものなのか、とことん追求しなければならないのではないでしょうか?それが“船員”の務めであるはずです!

無論、現状にあって、食口たちが求めているのは教義論争や真実の追求ではないのかも知れません。苦労の中にあって、彼らが欲しているものは癒しであり、慰めであり、身近なサポートであることを、私もよく知っています。目の前にいる一人を助けることがこれまでの私の務めであり、私にできる唯一の貢献でした。しかし、どんなに真心をもって尽くしたとしても、食口たちを導く“行き先”が誤っているとすれば、また、私たちが食口たちを誤導してしまっているのだとしたら、私たちは何をもって、彼らの“霊的生命”に責任をもつことができるのでしょうか? 船員が何よりも見失ってはならないものは、彼らを導く“目的地”であり、“行き先”ではないでしょうか?

思えば、顕進様がかつて私たちに教えてくださったことは“舩の行き先”についてでした。顕進様は“自分に付き従うこと”を私たちに教えたのではなく、私たちが共に“神の御旨”を見つめ、その御旨に生きることを教えてくださいました。父母様を愛するということは、父母様に名前を覚えられ、愛されることではなく、父母様が生涯をかけて果たそうとされた“神の願い”を果たすことであり、その御旨に生きることだと教えてくださったのです!

顕進様がお父様に異を唱えることも躊躇わなかったのは“神の御旨”に対して真剣だったからだと、私は思います。弟の子女様方の言動を深刻に見つめられたのも、この運動が“行き先”を見失うことを危惧されていからだ、と思うのです。かつて教会側が躍起になって顕進様への批判キャンペーンを展開していた真っ只中でさえ、顕進様の関心はただ、お父様のご存命中に、また基元節までに“どうお父様の悲願を果たすか”だけだったように思えました。当時、顕進様側のメンバーと議論する度に思い知らされたのです。顕進様にとっては、ご自分の真実を明かすことよりも、父母様の願い、神の摂理を成すことのほうがよっぽど大切なことなのだ!と。顕進様は言わば、この運動の“行き先”のために、自らの首をかけて闘って来られたのです!

私は心を決めました。顕進様の真実とその声を食口たちに届けます。顕進様の語る言葉に真実と原理を見出し、指し示す方向性の中に“神の摂理”を見るからです。「お母様を守らなければならない」と語る指導者たちの孝情よりも、悲痛な心情で「お母様を“勝利されたお母様”として立てて差し上げなければならない !」と涙される顕進様の中に“本物の孝情”を見るからです!

もし兄弟たちが誤った方向に進もうとするなら、声を荒げてでもそれを食い止め、万一、親が方向性を見誤るようなことが生じたなら、自分がどう言われようと、必死になって、それを食い止めようとするのが真の孝子ではないでしょうか? 顕進様は「自らの力をもってお母様の権威に挑もう」というような、そんなレベルの低い方ではありません!お母様を最後まで背負って、御旨を歩まれる方です! それが、私がその間、見聞きし、実感してきた顕進様の真実の姿でした。

私たちが作り上げた歪んだ情報と“城壁”ゆえに、また相次ぐ分派闘争によるトラウマゆえに、その方の言葉が食口に届かなくなってしまっているのだとすれば、それを正しく届けなければならない…、そう思いました。その間、悩まない日はありませんでした。しかし、何度祈っても、拒んでも、躊躇っても、恐れても、私の内に強く示される思いはそれでした。

私はかつて母の行動を止めようとしました。それは母を「守ろう」としたからです。しかし、母が切実な祈りの中で、自らの立場よりも、名誉よりも、生活よりも、自らの聖和のことよりも、神の摂理を思い、父母様を思い、食口を思い、「私は父母様から愛された者だ、日本教会の長女なのだから」と、自らの全てをかけて声を上げようとする姿に触れた時、これを止めることはできませんでした。

私も今、それと同じ思いです。私は日本教会を、これ以上、顕進様、神の摂理を進めようとする方を打つ側に立たせたくないのです!どうか、一方的で誤った情報を食口たちに伝えることを中断してください。その責任は牧会者の方々が負うべきではありませんし、負って頂きたくもないのです!今からでも、この船の方角を変えたいのです!お母様を本当に支え、食口たちを神の摂理の方向性へ向かわせることのできる方は顕進様だ!と、私は信じます。

もし、皆さんがこのメッセージを、単に分派の“毒”に冒された気違いの叫びだと思われるなら、石を投げつけてくださっても構いません。しかし、もし皆さんの中に、“別の声”を聞かれる方々がおられるなら、周囲の声や偏見にとらわれず、“真実”を求め続けてください。母の二つの書簡をはじめ、自らの信仰生命をかけて真実を伝えようとしている人々の言葉に耳を傾けてください!“財産泥棒”“食口泥棒”という汚名を着せられ、あらゆる迫害を受けながらも、必死な思いで私たちに働きかけてきた、顕進様の真実の言葉に耳を傾けて頂きたいのです!

また、真実を求めようとする食口たちがいるなら、それを断罪しないでください。人は真実を求めるものです。皆さんもこの道に来られる時、同じだったのではないでしょうか?本当に“真実”に立っている側は、「見るな、聞くな、触れるな」とは言いません。見て、聞いて、触れて、祈って判断せよ、と言うはずです。幼い二世や食口は別かも知れませんが、先輩家庭や青年食口に対して「あちらの集会に行ったら罪人とする」などといった状況は、“正常”とは言えないでしょう!

真実は周囲が認めるから真実になる訳ではありません。たとえ周りの全員から反対されようと、真実はそれだけで真実でしょう。私たちが御言を知る者であり、神を信じる者であるなら、真偽を見分ける判断基準は、本部の見解でも、権威ある者の言葉でもなく、“原理”であり、“神の摂理”でなければならないのではないでしょうか?また、自らが何を信じるべきかは“神霊”と“真理”によって判断しなければならないのではないでしょうか?私にとって、この行動はその結果でした。

仮に、皆さん一人一人が自らの信じる“真実の声”を挙げ始めることで、この教会に“混乱”が生ずるのだとすれば、それは今、この教会が“本来的な状態でない”ことの現れではないでしょうか?私も“混乱”を恐れてきた人間です。しかし、もしそれが、この運動の本来的状態を取り戻そうとする過程の中で生じる混乱であるなら、私は、その混乱を“避けてはいけない”と思うのです。

最初に記したように、この運動の方向性を誤らせた原因に、祝福家庭の言動や姿勢があったのだとすれば、私たち一人一人はこの問題に対する5%の責任を負っています!それを果たさないまま、全ての責任を真の家庭に負わせてはいけない、と思うのです。また、ただ信じて、沈黙し、傍観することが、その5%を果たすことではない、と、私は思うのです。

今、私にとって大切なことは、自らの内なる本心の声を信じ、沈黙を破って、自らが信じる真実を、皆さんに伝えることです。一人の声はほんの小さなものでしかないのかもしれません。しかし、それが真実から語られる言葉であり、声であれば、人の心にも届くはずです。また、一人一人の声はどんなに小さくとも、それが一つの声になるなら、“潮の流れ”も変えることができるのではないでしょうか?

かつてのお父様のように、数年間、どんな迫害にも、苦難にも、誹謗中傷にも、変わることなく、自らの抱いた信念を、真実を語り続け、叫ばれ続けた方の姿を見た時、また、その方の根底にあるものが、恨みでも、怒りでも、憎しみでもない、天に対する、父母様に対する、食口たちに対する“真の愛”であったことに気付いた時、私にも、一つの覚悟が生まれました。

難しい時代、困難な時代だからこそ、“信仰”が求められるに違いありません。私は改めて神の導きを信じたいと思います。また、真実に立つ一人一人によって、この運動がこの難局を越え、対立と混乱の時代を越えて、神の摂理の中で全てが一つとなる日が来ることを、心から信じてやみません。

2017年10月1日櫻井正上

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2017/09/29

サンクチュアリ教会で行われた結婚儀式に関して

2017年9月23日、サンクチュアリ教会では、真のお父様と姜賢實先生の聖婚式なる儀式が行われ、私たちは非常に大きな衝撃を受けています。

現時点で真のお母様が、「独生女」を主張され、真のお父様の血統を否定する発言をされているとは言え、顯進様は一貫して真のお母様に再び勝利していただくために尽くして来られました。

真のお母様が地上におられる限り、真の母として勝利される道はまだ残されています。私たちが本当に神様に侍って真の愛に生き、真の孝の道理を尽くそうとするならば、真のお母様が元の位置に戻られることができるように、あらゆる努力を尽くさなければなりません。過去7年間、顯進様はお母様と家庭連合による28件もの訴訟にさらされながらも、そのような道理を貫いてこられました。

神様と真のお父様の立場から考えた時、この地上で誰も行くことのできない苦難の道を52年間にもわたってお父様と共に歩んでこられた真のお母様に対して、そんなにも簡単に切って捨て、お父様の新たな相対者を迎えることなどできないはずです。

國進様は「間違った韓氏お母様をどうすればよいか」というサンクチュアリ信徒の質問に、「万が一、王妃が体系を簒奪するならば、彼女を逮捕して死刑に処すことが王の責任である」と答え、まるで「二代王」である亨進様には、お父様に背いたお母様を処刑する権限があるかのように仰っていますが、そのような世俗的観点は決して真の愛の神様からくるものではなく、神様を代表する真の家庭の伝統を完全に破壊するものです。また、真のお母様を切って捨ててしまわれた亨進様は、真の家庭の四位基台を破壊し、自らの真の子女としてのアイデンティティの根っこからご自身を切り離してしまわれました。お父様の生前から、お父様と別の道を行こうとするお母様を支持した亨進様は、今やお母様を救おうとされるお父様の心情を踏みにじり、真のお父様の最大の勝利である真の家庭の顕現と三大王権を否定することを白昼堂々と行っているのです。今回の儀式は、亨進様が神様と真のお父様の前にこれまで犯して来た罪の中でも最大の罪と言えるものでしょう。

姜賢實先生は1951年に自らボンネッコルの小屋を訪ね、南で最初に真のお父様の弟子になられた方です。90歳を超える高齢になられたとはいえ、最近の映像を拝見するとまだまだ思考はハッキリしておられるようです。このような姜賢實先生が、お父様の血統を否定するお母様の「独生女」信仰が間違っていることを感じられたそうですが、そうであったなら、お母様がその間違った「独生女」信仰を捨てることのできる道を必死に探し求めなければならなかったのではないでしょうか?

そのような努力を精一杯されることが神様と真の父母様に対する忠孝の道であり、大先輩である姜賢實先生にしか果たせない大使命なのであって、お母様の代わりに真の母の位置に立つなどという偽りに乗じることはその使命に反することです。

顯進様は真の家庭の長子として責任を持たれ今年の真の神の日(1月28日)の敬礼式を主管されました。その時に涙ながらに語られたみ言には、顯進様の真のお母様に対する切ない心情が表れています。私たち「顯進様を支持する有志の会」は、顯進様と共に、再び勝利された真のお母様として侍ることのできる日を出来る限り早く迎えることが出来るよう死力を尽くしていきます。

顯進様を支持する有志の会



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2017/09/12

教区長たちの議論が音声で流出!これでハッキリした

お母様の「独生女」主張の本当の中身は、「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」ということであるが、家庭連合本部はこれを誤魔化し、「お父様もお母様も原罪なし」を公式見解として発表してきた。

当ブログではこれまで、様々な面でこのような誤魔化しがこれ以上は通用しない証拠を突き付けてきた。


文平来 特別巡回師、お父様の有原罪とお母様の無原罪を示すスライド使用
金振春教授は、さらに衝撃的なスライドを使用!
UTSのミクラー教授、学会でお父様には原罪があったと発言!


そして先日、さらに重要な証拠が流出した。


【動画】
「反逆の加担者たち」


【日本語訳引用元】
cosmosのブログ「生き残りゲーム 時間稼ぎ大作戦!」


2017年4月24日、韓国で12時間30分に及ぶ全国教区長戦略会議があったとされる。その会議の目的は金振春教授の「独生子・独生女 真の父母論」講義及び質疑応答であった。日本で言えば地区長レベルにあたる韓国の教区長たちが、お母様の「独生女」主張についてどのように捉え、議論をしているだろうか?その要点を整理してみたい。


①教区長たちの議論の内容から、金振春教授の講義は、明らかに「お父様が原罪を持って誕生され、お母様は無原罪で誕生された」という内容であったということが分かる。


②「お父様に原罪がある」というのは、もともとお母様の発言であることを、教区長C、Eは認めているし、他の教区長もそれを前提として発言するか、異議を唱えない立場である。特に教区長Cはお母様が「お父様に原罪がある」と語られたことを「凄まじい衝撃」「統一家に混乱を招く」と考えている。


③教区長Aは、「お父様に原罪がある」というのは、お父様のみ言とも、以前の呉澤龍教授の講義とも食い違うと感じている。呉澤龍教授はお父様から直接、お父様は原罪なく生まれたと聞いてきた。


④教区長Dは、「お父様は原罪を持って生まれたのか、原罪なく生まれたのか?」という命題からすべての混乱が生じていると考えている。つまり、お母様の発言が、混乱を招いていると考えてる。


金振春教授はお母様が「牧会者たちに教育しなさい」と指示をされたので講義をしたのであって、自発的にしたのではないし、お母様が教材を作るように言われたのでやっていると自ら告白している。


教区長Eは、お母様が「お父様には兄弟がいて、彼らも原罪を持っているならば、お父様にも原罪がある」と語られていると認めた上で、それは原理的におかしいと発言している。


⑦教区長Eは、金振春教授がお母様に対して間違った考えを指摘しないので、お母様がこのようなことを語られていると感じている。


⑧教区長Fは、「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」の理論でいくと、お父様ではない別の男性とお母様が結婚しても真の父母になり得たのか?という疑問まで出てきてしまうと感じている。


⑨教区長Fは「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」を下の牧会者や一般食口たちに発表するのは、教区長である自分たちと相談してやって欲しい(勝手にこれを教育しないで欲しい)と言っている。


教区長Gは、お母様が最終的にどのように語られるかが問題なので、金振春教授がお母様に進言して「お父様もお母様も共に無原罪である」と大会などで語っていただけるようにして欲しいと言っている。


⑪教区長Kは、「お母様が聖婚記念日に語られた内容は、イエス様が独生子だとは語られたが、お父様を独生子だとは語られていない」と指摘している。


⑫教区長Mは、金振春教授の論文はまだ研究途中であり、確実なものでないにも関わらず、その段階でお母様に報告するので、お母様が「それで教育しなさい」と仰るのだ、と考えている。


教区長Mは、お父様に原罪があったという理論は混乱を招くと考えている。また、『原理講論』に基づいて考えた時、お父様は無原罪で誕生されたというのが妥当だと考えている。


⑭教区長Pは、結論として、金振春教授の「独生女論」はまだ十分なものではないので、お母様にそのように進言し、もう少し出来上がってから教区長に伝えて欲しいと語った。


以上の内容を通して、見えてくることをさらに整理してみる。


●お母様が「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」と語られていることは事実であることが分かる。


●金振春教授の講義も同様に「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」という内容であり、尚且つ、お母様の指示によって、金振春教授がこの教材(講義)を作成しているということが分かる。


●ほぼすべての教区長たちは、そのようなお母様のお考えを原理的に正しいとは思っていないし、神様から出てきたものだとも思っておらず、困っていることが分かる。


●金振春教授が不確実な理論をお母様に伝えるから、その影響でお母様がこのようなことを語られていると考える教区長もいることが分かる。


●教区長たちは、「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」の理論が現場に伝わると混乱が起こることを予想し、できればこのような教育をやらないで欲しいと考えたり、逆にお母様の発言が最終的に「お父様もお母様も無原罪」というところに収まるように金振春教授から働きかけて欲しいと考えたりしていることが分かる。


以上のように分析してみた。(もしも分析が不十分であるとか、客観性が欠けているということであれば、指摘をお願いしたい。)


事実がこうであるのに、現場の指導者や食口たちは「独生女」理論について全く知らないか、知っていても「お父様もお母様も共に無原罪」という話だという、本部の作り話を信じている状態である。


トップの指導者が組織維持を優先する政治的な体質を持っていても、現場の責任者や食口がお母様の「独生女」主張に関する真実を知れば、純粋な孝行心から立ち上がる人も出てくるだろう。本当にお母様を愛しているならばどうするべきか。この記事を読んでくださる一人一人の良心に期待したい。



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2017/09/02

UTSのミクラー教授、学会でお父様には原罪があったと発言!

2017年5月29日~30日、ベルギーにおいて「世界新宗教学会セミナー」が開催された。テーマは「文鮮明の生涯と業績、そして学術的な観点での統一運動」であった。

その場に家庭連合の代表として参加したマイケル・ミクラー教授(UTS教授)と質問者とのやり取りは以下の通りである。(音声を収録した動画あり


------------------------------------
質問者:あなたは韓国語が分かりますか?
ミクラー教授:分かりません。私は金振春が国際指導者カンファレンスで説明したものを根拠として…
質問者:あなたは韓国語が分かりますか?分かりませんか?
ミクラー教授:私は韓国語が分かりません。
質問者:二つ目の質問です。あなたは文鮮明牧師がメシヤだと、救世主だということを信じていますか。
ミクラー教授:はい、はい、そうです。
質問者:分かりました。分かりました。それでは…(騒然となる)。
ミクラー教授:もし私が信じないとすれば、それならどうなりますか。
質問者:文鮮明牧師が、原罪をもって生まれましたか?
ミクラー教授:私は、タマルの勝利が聖母マリヤに連結されたように文鮮明牧師がイエスから使命を引き継いだその瞬間に原罪がない立場になったという金振春の解釈を支持する側として…。
質問者:失礼ですが、もうちょっと短くお答えいただけますか。
ミクラー教授:確実に言える訳ではありませんが、私は文鮮明牧師が原罪なく生まれなかったと信じています。しかし彼は特別に準備された血統ではありました。
質問者:あなたは文鮮明牧師が原罪をもって生まれたと信じますか?
ミクラー教授:そうです。
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上のやり取りを見て分かることを整理してみる。

①ミクラー教授は、金振春教授の理論について、お父様は原罪を持って誕生され、16歳で原罪のない立場になったというものだと理解している。

②金振春教授がそのような論文を発表したのは、国際指導者カンファレンス(恐らく2017年2月7日に開催された孝情学術苑創立総会のこと)においてだと言っている。

③ミクラー教授は、金振春論文の主張を支持し、お父様が原罪をもって生まれたと信じている。

天法苑院長である金振春教授が、お母様のご指示で出発した孝情学術苑創立総会で発表した論文の内容が、お父様が原罪を持って誕生されたという衝撃的な内容であった。そこから考えても、お母様は金振春教授が、お父様に原罪があったという論文を書いていることをご存じであるからこそ、彼を重用されていることが分かる。そうでなければ彼がこのような主張を続けることは不可能である。

金振春教授本人は、今年4月24日の教区長たちとのやり取りの中で、お母様のご指示によってこのような教育をしていることを告白している。「まず、この内容は、とりあえずはお母様が『牧会者たちに教育しなさい』とされたので私が今講義をしました。自発的にしたのではありません。『教材をそのように作ってしなさい』と語られたのでやったことで…。」音声あり

このように、お母様のお考え、家庭連合でみ言の権威として位置付けられた金振春教授の見解、UTSのミクラー教授の見解など、最上部の見解は、「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」であることが明確になった。

日本の教学担当者たちも、この事実を知らないはずはない。ところが最上部の見解がこうなっているにも関わらず、日本家庭連合の教理研究院においては、「お父様もお母様も共に無原罪誕生」を主張している。(この主張自体も原理的に筋が通らない主張であるが。)

その理由は、彼らもお母様を中心とする最上部の主張(お父様は原罪あり、お母様は原罪なし)が非原理的な主張であることをよく知っているからである。そのため彼らはそれを必死に覆い隠し、フォロー可能な限界である「お父様もお母様も共に無原罪」を「本部見解」として貫こうとしているのである。

ここに彼らの価値観が現れている。本当の意味でお母様をお支えし、勝利していただこうとするならば、お母様の発言がお父様のみ言と食い違っていること、お母様がお父様の血統的アイデンティティを否定しておられること、それ自体に対して努力しなければならないだろう。

しかし彼らが力を注ぎ、苦心しているのは組織維持と自らの保身である。お母様の発言が外に漏れ伝わらないように、それと同時にお母様を中心とする最上部の機嫌を損ねないように気遣いながら、ギリギリのところで政治的な行動をとっているのである。

一人一人の食口が目の前のアベルの話だけを聞き、目の前の目標にのみ追われ、真の家庭の完成と摂理全体の成就に無関心であることが、このようなことを可能にしてしまっている。一刻も早く、より多くの食口がこのことに気が付き、お母様をお守りする道を選択することを願ってやまない。


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